俺はつづるりが好きだ。推していると言って良い。
そんな俺がなぜこれほどまでにつづるりに惹かれるのか。自分なりに考えてみたが・・・
それは、彼女たちの抱える困難さが、とても身につまされるからだろう。
まず、綴理は日常会話で、言葉を紡ぐのが非常に苦手だ。
ただの天然というよりか、「物事を合理的にとらえ考えたうえでの発言が天然」な「リアリスト」なのだろう。中の人がそう言っているように。
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1680235357
上記含め、俺が綴理に対して抱いている印象は下記のとおりだ。
- 自分の思いや考えをわかりやすく言語化するのが苦手
- それゆえ、他人からは一風変わった人物だと思われがち
- 他人との距離感を適切に把握するのが苦手
- 物事を合理的かつ現実的に捉えようという主義が強い
- 他人の感情の機微を読み取るのが苦手
※第17話までの活動記録に一通り目を通してはいるが、3,4回と繰り返し読んでいるわけでもないので、解像度が高いかどうか自信は無い。また、上記のうち1,3,5については、段々と改善・変化させてきている。それらの背景を留意してもらえるとありがたい。
活動記録における上記のような描写は、まるで他人事のように思えない。
話が突飛すぎたり特殊すぎたりして、他人から曇った反応を返されることはよくあったし、自分の言動でよく他人の地雷を踏んでしまうことがある。
そのことを恐れて、極力誰かから怒られないよう、ときにじっとしているだけのこともある。
また、察しが悪いために他人から反発された経験も、数え切れない。ほかの人々と比べて、明らかに鈍臭い。
人の考えが、感情が、温度感がわからない。距離感をどう持てば良いのかもわからない。
ついでに言うと、“充電切れ“も起こしやすい。
仕事で人と関わるのが非常にしんどいと感じるし、プライベートでも頻繁には人と会わない。週一?いやいや、月一でもだいぶ会った方だと感じてしまう。
そうして苦しみながら生きてきたのが、人生のダイジェストと言っても過言ではない。
そんな自分にとって、綴理は実に共感しやすい対象だった。
もちろん、何度も言うとおり、最近の綴理はむしろ上記の難点をじわじわと解消してきている。また、人の気持ちの機微を読み取るのが、実は得意なのでないかと思わせる描写もちらほらある。
本来、綴理(及び、後述する瑠璃乃)と俺ごときを比較してはいけないだろう。そりゃそうだ。綴理はよく頑張っているし、そもそも美人だ。綴理と俺とでは、さながらイエス・キリストとアスベストみたいなものだ。
したがってこの記事は特に価値の無い。いわばマスターベーションのようなものだ。そのことを改めて記したい。
さて、そんな綴理でも、冷静に現実を見つめ、メンバーへ深い理解を示し、ときに彼女らが飛び立つためのサポートをしてくれている。
特に、瑠璃乃に対する解像度が実に高いと、第17話を読んで感じたのだ。
なぜ瑠璃乃なのか。
それは、瑠璃乃は瑠璃乃で、綴理のそれと腹違いの姉妹のような性質を持つ生き辛さを抱えているからだ。
周知のとおり、瑠璃乃はSocial Battry = 「社交におけるエネルギー」の消耗が激しい。
綴理は、そもそも社交が苦手で不自然。
瑠璃乃は、社交におけるエネルギーの消耗が激しい。
どちらも、「日常で要求されるだけの過不足ないコミュニケーションノルマを、不自然なく持続的にこなす能力」に乏しいという点で共通している。
ところで、世の中には同様の生き辛さを抱えている者が(自分含めて)いる。
同根の社交的困難さ及びそこから生じる疲労についてよく体感している綴理からすれば、そんな人々へもしっかり寄り添うというスクールアイドルとしてのスタンスは、とても理解しやすいスタンスなのだろう。だから綴理は、瑠璃乃の気持ちがよくわかる。
ドルケの曲を聴いたり、瑠璃乃の話を聞いたりしていると、自分のような、綴理や瑠璃乃が抱えているのと同じような生き辛さを持っている人間のことも、きちんと見てくれているのだと、そう安心できる。
いや、実際は見てくれなくていい。
ただ見捨てられたくはないんだ。
ないがしろにされたくはないんだ、自分という存在を。
俺は綴理や瑠璃乃と違って、才能や存在感やガッツに溢れているわけでもない。
しかもその生きづらさには、社会において、明確な名前が付いている。ここで深入りはしないが。
そんな自分のことさえも尊重してくれる瑠璃乃のことがとても好きなんだ。
瑠璃乃ちゃんの話を聞いていて思う
嗚呼、自分も楽しんで良いんだ、って。
自分みたいな人間のことも救い出してくれるんだ、って。
対人関係でエネルギーを消費しすぎて“充電切れ“を起こしてしまう瑠璃乃だからこそ、人とのかかわりで疲れを感じている人達の痛みがわかるんだろうな、って。
そんな人達すらも笑顔にしてしまおうという強い信念を持っている瑠璃乃は、絶対にみらぱに、蓮に必要だ。
そして俺は、ある種の「似た者同士」で作る、不完全ながら強い熱を帯びている芸術が好きだ。
だから惹かれるのだろう。つづるりに。
駄文、乱文、長文失礼。